私の変化ストーリー①
こんにちは。
Cognitive Designerの池田健吾です。
今日は、私の変化ストーリーについて書いてみたいと思います。
以前の私は、どことなく冷めたところがある人間でした。
小学生の頃から「達観しているね」などと言われ、
大人ぶりたい子ども心としては悪い気はしなかったのですが、
内心では学校の先生をバカにしていたので、
態度の悪い生徒だったかも知れません。笑
テレビを見て色んなニュースが流れても、
自分に関係あるようには思えなかったし、
社会や政治に興味は持てませんでした。
「どうせ変わんないじゃん」
そんな何をやっても無駄という諦めに似た感情があったのだと思います。
両親は公務員でしたから、経済的な変動は少なかったです。
一方で、夫婦喧嘩が絶えず、姉は鬱になり、
「家庭とは、何か問題があるのが自然なんだ」
とさえ当然のように信じ込んでいる時期もありました。
そんな私はバイトができる大学時代になると、
自らの変化のために自己啓発や成功哲学、ビジネス書にお金を使うようになりました。
関わる人や環境を積極的に変えて、見聞を広げたり新しい刺激に出会うために海外旅行やボランティアに参加するようにもなりました。
就活が始まる前から、不景気だ、リストラだ、と聞かされていたので、無自覚のうちに個人として自立することを視野に入れている自分がいました。
その裏には、「国も、会社も、学校も、親も、誰もあてにならない、助けてくれない」そんな決めつけがありました。
自分が幸せになるには、経済的に自立して、やりたいことを見つけるのが必須条件と考えていました。
そんな私は、当時、流行していたSNS「mixi」を使った集客や人とのコネクトに成功して、お小遣いを稼げるようになっていました。
今で言うところのインターネットビジネスのようなものだったと思います。
その頃には、引き寄せやアファメーションなどを活用し始めており、お金に対する思い込み(マインドブロック?って言ったかな)の解除などにも、取り組んでいました。
そもそも、お金とは?を追求しだすと、イルミナティやら陰謀論やらに辿り着いたりするのですが、その頃から、世の中の仕組みや社会の成り立ちなんてのに興味関心が移っていってたのを覚えています。
「スライブ」という映画を見たのもこの頃ですね。
懐かしい…
結局のところ
「どう生きていくか」
という問いが残りました。
同時に、目指せることの限界というのが、なんとなくわかって来てしまう。
いわゆる「先が見えてしまう」という状態になることとなっていきます。
それでも追求していくと、宗教、悟り、スピリチュアル、宇宙、といったジャンルになっていきます。
インドにヨガをしに行ったりもしました。笑
そんな時に出会ったのが、nTechでした。
この現実を3次元の立体スクリーン画面で捕らえることができます。
PCからPU。
パーソナルコンピューター、から、パーソナルユニバース。
心は宇宙の外の外に置いておく。
この体はアバター。
だけど、心は自由自在。
中も外も行ったり来たり。
人との出会いは宇宙旅行そのもの。
最高にエキサイティングで神秘的な今ここを悟り知ることに成功できる技術。
そして、そこから浮かび上がる“日本”という可能性。
脈絡、DNA、未来価値。
物質も、光も、エネルギーも、すべてが真実の呼吸を始め、
生ききること、死にきることが同時にある、今ここ。
こんなにも熱くなれる重要なキーワード、概念、出会いが、実は、この日本にあったんだということは知るよしもありませんでした。
どこまでも先のイメージの外の世界を創り続けている確信と実感。
先の見えない展開に、ワクワク、ドキドキしながら。
さらに良く、さらに面白くなる、そんなことだけは明確で、そんな予感だけが確かなものとして。
「生まれてきて良かった!」
「生きることがこんなに楽しかったなんて!」
そんな感動をどんどん広げて、一緒に事件やプロジェクトを起こせる仲間を増やしていきたいと思って、日々、活動しています。
まだ、誰も見たことも聞いたことも感じたことない世界。
目の覚めるような事件をどんどん起こせる集団が増えていく。
躍動する平和を未来に一緒に確認しにいきましょう。
本日も最後まで読んでくださりありがとうございました。