長崎の爆心地に立ってみて

【長崎の爆心地に立ってみて】

 

長崎原爆資料館を訪れたあと、最後に爆心地へと足を運んだ。

 

1945年8月9日11時2分

 

その現場、その場所。

 

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手を合わせて拝んでみようとしたが、どんな言葉も出てこなかった。出すことができなかった。原爆資料館でみた「あの時から今までのすべての言葉が意味を持たなくなった」という証言が脳裏をよぎった。

 

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尊い犠牲だとかいう言葉で表現できることではない。どんな慰めの言葉も瞬時に塵と化すような、そんな無力さを感じた。安らかになんか眠れるわけがない。あの惨劇に対して、今を生きる私たちが言葉にするべきものが見つからなかった。

 

言葉も祈りも何の力もない、そう思った。

 

沈黙のなか言葉を放棄した私は、やり場のない思いを胸に抱え爆心地の真下へ移動した。

 

「地上500mってどれぐらいなんだろう」と空を見上げた。

 

空を睨み、500m上空、そして、さらにその上空へと意識と想像力を働かせた。

 

長崎に原爆が落ちたのは、8月9日。

 

その地点、時点だけでは答えが出せず、その後の歴史に意識を広げた。

 

すると唯一、このやり場のない思いと歴史的事実を方向付けることができる言葉が浮かんできた。

 

「1945年8月15日 永遠な終戦( Noh Jesu )」

 

広島と長崎に原爆が落ちたことの意味は、「永遠な終戦」という人類史上最も偉大な功績を証明することでしか、魂が浮かばれないと確信した。

 

感情を押し留めたり、過去の伝達だけじゃなく、祈るだけでもない、その道。

 

3発目以降の原爆が落とされることを食い止めた決断と覚悟。

 

爆心地で空を見上げたまま、口を開け飲み込む動作をして、腹に落とした。

 

「原爆が落とされたんじゃない。原爆を飲み込んでやったんだ。それほどまでに長崎の強さがあったんだ。」

 

長崎の人類に対する愛は、大きすぎて深すぎて偉大すぎて目に見えているものだけでは到底、測ることはできない。

 

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ニーチェは言った「神は死んだ」と。

 

神以上の何かと出会える、長崎という地に感謝と畏敬の念を込めて。

 

2026年8月9日

 

#長崎
#原爆

2026年の挨拶

あけましておめでとうございます
本年もよろしくお願いします

2026年の一文字は「因」にしました。

事の起こり。原因。理由。
などの意味合いがある漢字です。

昨年を振り返ってみたときに、各方面で前進することができたのと、12年間の整理が起きたこと、結果として守りと攻めに取り組めたことがありました。

昨年を通して守りと攻めの転換を感じている人も多くいるようです。

「城ができたからこそ、より攻めに打って出ることができる」そんなイメージを持ちました。

結果主義ではなく、原因主義。

目的や目標はAI時代において、空虚なものです。
人間が生まれてきた意味、この宇宙や現実が立ち上がっている出発、自分とは何か。
すなわち「原因」から始めない限り、人間の生は本来の輝きと呼吸を失います。

また、AIに代替できない人間の営みである「理由」。
何者にも侵されない自らの存在理由。生きる基準軸。

そして、より打って出る意気込みを表すものとして「事の起こり」。

こういった背景から「因」を選びました。

イレギュラーもあり正月は少し心が揺れましたが、元旦の初詣は「源頼朝公が、駒(うま)を繋いで戦勝祈願を行った」という駒繋神社へ行きました。

昨年の正月に視聴した大河ドラマ「鎌倉殿の13人」からのインスピレーションともつながり、午年の令和8年もよいスタートが切れたと感じています。

白い馬の勝守もGET!

皆様におかれましても、素晴らしい一年となりますように。

#正月
#新年挨拶

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「関心」とは?

「関心」とは?

 

いきなり横道にそれるように感じるかもしれませんが、ゲシュタルト崩壊という言葉があります。

それは、本来なら意味のあるはずの言葉に対して、その意味がわからなくなるようなものなのですが、細かくは調べてみてください。

 

今、私は「関心」という言葉に集中していく過程で、その文字を見つめていった先にゲシュタルト崩壊を経験したと感じました。

 

特に、「関」という文字に対してです。

 

「関心」について深めようと、その語源なり、成り立ちなり、AIに聞くなり、初動としてはいろいろな選択肢があるわけですが、私は文字通り「関心」という言葉に関心を寄せたのです。

 

ゲシュタルト崩壊は、以前から知っていましたが、言語について理解や考察が深まった今において、「関心」という言語も概念でしかなく、人間による創造物であるからには、それは、人間においての約束体系の上でしか成立しないものであり、実はあってないようなものとも言えるのです。

 

つまり、ゲシュタルト崩壊は、人間が無意識わかっている何か、言い換えると「本質」を直感しているような状態にも思います。

 

さて、崩壊は、形のあるものが崩れるイメージですが、もう少しシンプルに表現すると『有→無』とも言い換えることができると思います。

 

既成概念、固定観念、大前提、思い込み、それらがいったん無化することは重要なプロセスと思います。

 

しかし同時に、「関心」は有るのです。

 

この「関心」を考察する準備が整ってきました。

 

私はこのテーマを扱うに至るきっかけとなる場で「関心」という単語を使ったのですが、その時に私は主に気になっている、どうしていくべきか、などの対象として認識している話題について「関心」があると表現したのでした。

 

主に「関心」という言葉を使うとき、私たちは意識の向いてる対象に働く、思考や想像などがあげられると思います。

 

しかし、なぜ「関心」が有るかといえば、関心が何に立脚してその起こりがあるのか、言うなれば「関心」の出発があると思います。

 

また、「関心」には感情など思いの匂いもします。

 

そして「関心」は消えることもあります。「関心がなくなった」という表現もあるぐらいです。

 

関心はどこから来るのでしょう。

 

関心が働く時、自分はその対象との間にどんな関係や思い、ストーリーを描いたり、期待したり、しているのでしょう。

 

ここにきて「関心」の「関」に関わりという感じが用いられてることに合点がいきます。

 

「関わり」という言葉は、主体と客体など、2つの対象がなければ起こり得ない心の働きと思います。

 

「関心」から派生する、心の働きを言い表す言葉もたくさんありそうです。

 

関わる心、関わろうとする心、関わりたくない心。

 

心が関わることができる範囲は広大です。

 

その深さや硬さや速さは、まさに縦横無尽。

 

「関心」という言葉が出てくるに至る背景を考えてみたら、「関心」にまで心が意識を向けている対象と、その出発となるポジションは、まさに相対的に引き合う関係性にあるものなのでしょう。

 

「関心」から紐解く、相対世界の真理、対称性、矛盾。

 

何に「関心」が向いているかで、心のポジションが見えてきます。

どんな理由で「関心」向いているかで、そのポジション、差を取りたい、悟りたい現在地が見えてきます。

 

「関心」はやがて「執着」へと変わる気もします。

 

あなたはどう思いますか?

 

ここで「関心」には2種類あると思いました。

 

「受動的な関心」と「能動的な関心」です。

 

「関心」そのものは心の働きと思いますが、その心の関わりの性質として受動的なのか、能動的なのかで、関心を向けている対象との主従関係のようなものが見えてくると思いました。

 

受動的な関心は、無意識だったり、本能的だったりすると思います。

 

一方で、能動的な関心は、理由や意志のようなものが関係してくると思います。

 

しかし、受動的か能動的にもまた、自覚や混同など、複雑な話に発展するイメーがきたので、いったんここまでにします。

 

今日のテーマは「関心とは?」

 

「関心」という言葉について考えを深めていくにあたり、その範囲、すなわち限界もあるとここで思いました。

 

「関心」も言語である以上は、それを説明するための他の言語との関わりを無視できず、堂々巡りとなってしまいます。

 

さて、ここに至り浮かんできたのは「無関心」という言葉です。

 

この言葉は現代を語るうえでよく使うこともあり、その背景にある「あきらめ」も即座に浮かびます。

 

そう考えると「関心」は、まだ、オープン性がある状態ともいえるかも知れません。

しかし、その関心が限定的である場合、それはクローズでもあります。

 

関心の向かう先、関心の接続先、さらにその先の関心の働き。

 

健全な関心とは?

 

そんな疑問も生まれてきました。本来、どうあるべきなのか、どうありたいのか、私の「関心」に対する関心は、どうやらそこへ向かっていたようです。

 

関心が何なのか?

関心の仕組み、構造とは?

そして、関心が向かうべき方向は?

 

ここまでの話をまとめながら、さらに深めるならば、どうなるでしょうか。

 

関心の起こり、出発、震源地。

 

関わる心、心の関わり、心の働き。

 

仲間づくり。。そんな言葉がふと浮かんできました。

 

おそらく「関心」を一つの人格に例えるなら、関心はその範囲や深さ、細かさ、多様性、自由度、などどんどんと拡張し続けていくことに、喜びを覚えるのではと思います。

 

膨張していくイメージでしょうか。

 

しかし、関心は対象に集中すると思えば、圧縮していくイメージにも思えます。

 

圧縮、爆発、膨張、が心の動きならば、関心は本来、圧縮の方向性のように思います。

 

それを裏付けるように「関心を広げる」と言ったりもしますしね。

 

「関心」はネット機能のようなものなのでしょうか。

 

この範囲に興味を持つぞー、みたいな。

 

圧縮した先に、爆発ができない場合、それは間との出会いが起きていないということ。

 

また膨張が中途半端なら、またその範囲の関心に捕まり、圧縮へのサイクルが始まってしまうこと。

 

関心、それを正しく向けられるようになるには、関心の奴隷になっていては無理そうです。

 

関心も無関心もない、無概念から。

 

関心を生み出せるポジションに心がなってこそ、「関わる」を始めることができる。

 

その時、「関心」は愛へと呼べるものになるように思います。

再開にあたり

ご無沙汰しています。

 

この度、 書き溜めていきたいテーマとの出会いにより、本ブログを再開しようと思います。

 

AI時代にあって、私たちは何と出会うべきか。

 

完成された技術はあるので、私は本ブログにてその内容を書き溜めていくこととなると思います。

 

やることは「質問をもって内容を深める」というもの。

 

では、早速やってみたいと思います。

繊細さは武器

【繊細さは武器】

明日から名古屋行くんだけど、その準備の前に今日はちょっと振り返り日記を書いてみたのである。

そして叫びを発信してみるのである。

めちゃくちゃよくやっている!!!

チャレンジやら納期死守やら様々な対応、体調管理まで含めて、よくやり抜いているのである。

たまに久しぶりの友人なんかに出会うと、こんなご時世にお互いよくサバイブしてきたなと、まさにそれぞれの環境で奮闘している同志との再会のように感慨深いものがあったりする。

大変そうなところに飛び込んだりしちゃうのは、パターンと知りながらも今は、状況も何もわかりながら引き受けたりダイブしたりしてっている。

それでもやっぱり、大変なことはある。だけど、「なぜ大変なのか」「他の人が嫌がるのか」そんなことも観えてきたりして、道だったり未来だったり、勝利の確信や落とし所なんかも、ほぼ確実な予定になる。

調整能力はかなり磨かれていると思う。

昔は繊細さが弱点に思っていたけど、nTechに出会い日本を知り、【繊細さは武器】だと知った。

今でも人によっては俺のこと「細かい」とか指摘っぽく言ってくるけど、侍のセンスですよと言っておく。

とはいえ、状況によって行き過ぎる時を徐々に統制できる感覚も身に付いてきて、相手や状況とよりフィットさせることも鍛錬中なのである。

確かに無駄な労力であることもあると思うので。

AI時代に、人間たちとチームプレーする苦悩や葛藤、喜びや楽しさ、嬉しさ、バカらしさ、可愛らしさ、愛おしさ、感動、慈しみなんかを味わいながら、プロジェクトも業務も、仕事も家族のことも、人生も進んでいるのである。

これが幸せなんだと思うのである。

そう、この前キャワイイ後輩ちゃんと話して『私たちにとって毎日の歩み一歩一歩がブルガリアンスクワットだ』と大笑いしながら、納得と誇りを共感したのだ。ガハハ

我々は常に勝利者なのである。

何かネジが外れたかのように、一生懸命に走っていたら、いつの間にかフワッと宙に浮き出して、飛行してたりなんかして、「何!?飛んでるじゃん!背中の羽を無駄なく滑らかに羽ばたかせる筋力ついてたじゃん!もうこんな軽く力を入れずに飛べちゃってる時代に突入なの?」みたいな、走行時代から飛行時代になった、とも言えるような、そんな期間を過ごしたんだと。

まぁ、今年の誕生日は特に感慨深いものもあり、なんかたまには長文でエネルギーやイメージ、感情や言葉なんかを書き出してみたくなったのだ。私は。

名古屋から帰ってきたら、父母とも会うしご褒美のごとく美味しい時間にありつけたらいいかな♡

寒くなってきたし皆んなも健康も大事にしてね。

とにかく、オススメは「白湯」と「銭湯」あと「睡眠」。

写真は忙しいなかカチッとハマった映画チェンソーマンの時の。

それでは皆さんよい週末を〜

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2025年の挨拶

あけましておめでとうございます

本年もよろしくお願いします

 

今年の一文字は『臨』にしました。

 

昨年を振り返ってみたときに、

自らの内にあるもの

行動や結果、実績や反響など

表出して現されているものごとから

 

自分という存在について「みえてきた」ことがありました。

 

その流れから、よりリアリティや具体性をもっていきたい思いと、

新しく描き、設計し、つくり上げていく未来への期待を込めて、

『臨(む)』

としました。

 

「ご臨席」「臨場感」といった言葉にもドキドキやワクワク、

緊張感などを感じますしチャレンジや楽しむ心なんかも含まれています。

 

人生を階段に例えると、

今までももちろん階段を上がってきてたと思うのですが、

これからの上がる数段からは地下から地上へと出るように

「みえてくる」世界や概念の次元が違う予感がしています。

 

ということで『臨(む)』心で今年という時を愛していきたいと思います。

 

皆さまもよいご縁や機会に恵まれ、また健やかに過ごせる年となりますように😊

 

#謹賀新年

#挨拶

 

 

来たる!Dignity2.0国際カンファレンス in 仙台

【来たる!Dignity2.0国際カンファレンス in 仙台】

第4回となる開催は仙台、松島

ハーバード大学ドナ・ヒックス教授との出会いから「Dignity(尊厳)」をキーワードとした日本発の国際カンファレンス。

・教育
・経済
・政治
・健康
・文化芸術
・歴史
・ライフスタイル

など幅広い分野でのディスカッションや研究発表などが催されます。

老若男女、国内外から多方面で活躍される方々も来場されます。

誰でも参加できるオープンな場で、様々なスケールや関心事ともつながれる深さと爽やかさのある祭典です♪

私も出展や撮影など現地参加もしますので、ぜひ松島でお会いできたら嬉しいです。
HPではダイジェスト映像も見れます♪

#D2IC
#国際カンファレンス
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