私のストーリー②

こんにちは。

 

Cognitive Designerの池田健吾です。

 

今日は、前回の私のストーリーの続きになります。

 

まだ読んでいない方はコチラから。

 

私のストーリー① - COCOROMAN LABO

 

私の家では、小さいながらに私を悲しくさせる出来事がありました。

それは、夫婦喧嘩です。

 

それも、かなり激しい。

 

物が飛んだり、フライパンが曲がったり

もう手がつけらないです。

 

私もまだ小学生でしたから、

2人を止める力もありませんし、

姉の部屋で喧嘩がおさまるのを待っていました。

 

時には、近所の人まで駆けつけてくることも。

 

私が生まれたのが母親が40歳の時でしたから

8歳離れた姉の証言によると

「2人が若かった時はもっと凄かった」

らしいです。

 

聞くところによると、

母親が目に青アザをつくっていたんだとか。

 

そして、事件は起きました。

 

私が小学3年生ぐらいの時です。

 

ある日、コタツで横になっている母親と

台所で何かあさっている父親が口論を始めました。

 

途中までは、私も「いつもの口喧嘩だ」と思い、

嫌悪感を抱きつつも不安な気持ちで様子を伺っていました。

 

しかし、明らかに「いつもとは違う」空気に

なっていくのを感じました。

 

その時は、母親の口撃がヒートアップして

どんどん、どんどん、出てくるのです。

 

黙っている父親に対して際限なく

畳み掛けるように続くのです。

 

私が内心

 

「やばいっ!」

 

「そんなに言って大丈夫なの!?」

 

と心配に思うような瞬間を何度か通り過ぎた後、

その時が来ました。

 

沈黙していた父親がある行動に出たのです。

 

台所に置いてあった包丁を手に取り、

タツで目をつむり仰向けになっている母親に向かって

 

「殺してやるっ!」

 

と差し迫っていったのです。

 

私は初めて“殺気”というものを経験し

 

「この人、殺っちゃう」

 

「人が人を殺す時ってこうなんだ」

 

と直感しました。

 

父親と母親の距離が残り2,3歩になろうかという瞬間、

近くで見ていた私は刺されることを覚悟して、

気づくと母親の前に立ちはだかっていました。

 

父親と対峙した瞬間、

恐怖でわけもわからず叫んでいました。

 

「ばかやろう!自分が何やってんのか、わかってんのかよ!」

 

母親が刺されることも

父親が人を刺すことも

どちらも嫌だった私が選択できたことはそれだけでした。

 

その後、台所に包丁を投げ捨てて父親は部屋を出ていきました。

 

母親はそのまま黙っていたと思います。

 

これがきっかけになって私の人生の

考え

感情

言葉

行動

人間関係

が固定してしまっていたことは

 

「無意識エンジン発見セッション」

 

をするまで気付けませんでしたが、

今ではそこから自由になれています(^^)

 

かつては、恨んでいた父親とも一緒に

映画に行ったり

旅行に行ったり

(父親と2人旅っていうのもいいもんですよ)

お酒を飲んだり

するようになりました。

 

さらには学生時代のやんちゃ話や母親との出会いについても語り合い…

 

長くなるので、この話はまた別の機会に。

 

さて、私のストーリーに話を戻しますと、

私はこの後、中学高校と初めての告白や反抗期なんかを経て

大学生になっていきます。笑

 

私にとって大学時代は、感慨深いものがあり、

多くの出会いや転機にも恵まれました。

 

そのことは次回、お伝えできればと思います。

 

本日も最後まで読んでくださりありがとうございました。